ある文系研究者の日常

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現在、ハノイで社稷壇と南郊殿の発掘調査が行われていることを、山中先生のブログで知り得た。まだ連載第一回目で、社稷壇址のみのリポートだが現場写真もあるので、続報を期待しつつご覧あれ。どちらも工事に伴う発掘調査のようで、社稷壇の方は、キムリエンKim Liênとオー・チョ・ズアÔ Chợ Dừa交差点を結ぶバイパス建設によって、調査の運びとなったとか。ニャンザンのサイトで検索してみると、下記ふたつの記事が見つかった。最初の記事では「陳朝」となってたのが、一週間後の記事では「李朝」へと変更されている。

山中先生によれば、社稷壇の発掘というのは東アジアレベルで見ても、かなり画期的なものらしい。しかし残念ながら、遺跡の保存はかなり難しい情勢だ。もっとも、私のようなヒネクレ屋さんは、タンロン王城のときも今回も、後期黎朝や阮朝時代の遺構なんてロクに見ないで、目立つ李陳朝の層まで一気に掘りまくったんじゃね〜のか?とか、ついつい邪推してしまうのだけど。そういや、最近JICAがお金を出してハノイに都市型鉄道を造る計画が出たらしいが、なんと旧市街に地下駅を作る予定らしい。これはこれで遺跡がざくざく出てくる(そしてぶっ壊される)ことになるわけで、大変そうだ。ま、鉄道計画は浮かんでは消えの繰り返しなので、実際着工するまで分かりませんが。

南郊殿の方は検索しても出てこなかった。こういうのはHà Nội Mới紙の方が強いと思うのだが、こういうときに限って繋がらない。続報を鶴首して俟ちたい。代わりに南郊「壇」で検索してみると、タインホアの西都で、胡朝期の南郊壇の発掘調査が、2004年に行われていたことを知り得た(真面目にベトナムの学術雑誌をチェックしていないのがバレバレ)。昭和女子大の菊池先生のグループによる西都城発掘(世界初である)と時期的にかぶっているので、連携があったかも知れない。

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