ある文系研究者の日常

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の記述があまりに酷すぎる件について。

「地域研究とは何か?」というのは、SFマニアに対して「SFって何?」と聞くのと同じくらい禁断の質問らしく、年中「地域研究とは何か?」をめぐって議論している(ような気がする)。だから、世界でも日本でも多様な地域研究が存在している。

それにしても、

  • 地域研究とは、主に国家規模の地域を対象として、各地域の共時性に留意しながら、その地域の特色を他地域と比較しながら考察し、
  • 地域研究は原則として自然科学的な方法を排除するが、地誌学は自然科学的な研究方法を用いる

ってのは、あまりと言えばあまりな記述(強調は管理人)。京大東南ア研や同じく京大のアジア・アフリカ地域研究研究科の人が見たら卒倒しそうな内容である。

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帰国

2週間ほど現地調査と文書館調査のためベトナムに行っていました。色々ありましたが、詳細は後日の補足ということで。

帰国直前に引いた風邪が辛い…

本日から調査に合流。今回は「文献・碑文資料による近世紅河下部デルタ開拓史研究」というプロジェクトに混ぜて頂いている。今年の調査地であるナムディン省ギアフン県はダイ川と紅河支流のニンコー川に挟まれた南北に長細い県。ダイ川の向こう側はニンビン省のキムソン県で、ここは昨年度に調査を行った(管理人は参加できず)。ニンコー川の対岸は同じナムディン省のハイハウ県。どちらも開拓史については研究の蓄積があるが、間に挟まったこの県については、纏まった研究がないので(ハノイ大の卒論が一本ある)、ターゲットになったわけだ。

で、両岸の県では15世紀に作られたとされる堤防(洪徳堤)があるのだが、ギアフン県内で何処を通っていたのかが確定されていない。古い時代については、これが確かめられれば、万々歳ということになる。事前情報では、もう少し南に後期黎朝時代(16―18世紀)の堤防が築かれた場所もあるとのこと。私個人としてはここが一番楽しみ。もちろん、もっと沿海の方は開拓の歴史が遅れることになる。当初予定では、北の方から順番に沿岸砂丘列上に位置する村落を訪問することになっていたが、現地側の都合で、一番海岸よりの村落から北上する形態へと変わった。「調査地がどんどん遠くなっていくと疲れるでしょ?」という、配慮(?)らしい。

やってきた車。ひさびさに来たよ、おんぼろワゴン。往年のチェコ製バスほどではないが、なかなかの年代物。当然クーラーなんて壊れてて使えません。運転手は若くて気のいいあんちゃん。そこそこ安全運転してくれるが、やはり片道1時間半は疲れる…。

本日の調査地はNT社。家譜があるということで出向くが、最近編纂されたクオックグーのものだった。別の氏の祠堂にも行くが、ここは史料無し。帰路、古い堤防の跡があるという所に寄るが、車が入れないので、SさんとT君だけがバイクに乗って確かめに行く。

帰路、予定外の寺院(Đền, chùa, phủのコンプレックス)に立ち寄ることになった。第5代目の雄王を祀っているとのこと。百卵伝説に出てくる雄王の子供100人の名前全部が載っている面白い史料と出会った。

ホテルの朝食なんて期待してなかったが、予想以上に不味かった。つか、朝食からロールケーキなんか喰えるか!ロードゥック通りまで出て食えばよかった。激しく後悔。中国人の団体さん多数。家族連れだったので、観光だろう。

午後2時に迎えの車がホテルに来る手筈になっていたので、午前中はゆっくりできると思っていたが、急遽予定が変わった。調査終了後、ハノイで文書館調査をするが、そのためには紹介状が必要である。これがないとベトナムでは基本的に何にもできない。大事な書類なのだ。昨夜電話があって、手続きの関係で先発隊の出発に間に合わず、私以外の人の分も含めて、私が受け取りに行くことになった。電話では「オフィス」としか聞いていなかった(はず)。私が「オフィス」と聞いて思い浮かぶのは、自分も立ち上げ準備に関わった、東大とハノイ大の共同オフィスである(これ自体は既に予算措置が切れたので、正式には東大の施設でなくなったはず)。で、行ってみたら誰もいない。途方に暮れたところで、スタッフのPA先生(オフィスのスタッフだが、もともとはベトナム語の先生で、私の先生でもある)が登場。

  • 管理人「紹介状を取りに来た」
  • PA先生「何の紹介状?」
  • 管理人「へっ?ここに取りに来いと言われたんだけど…」
  • PA先生「何も聞いてないよ。」
  • 管理人「げげっ…。」

で、調査に同行しているスタッフに電話してもらったところ、幸いにして繋がった。結論としては、私の勘違いもしくは聞き落としだった。「オフィス」とは、今回の調査のカウンターパートであるところの、Viện Việt Nam học và khoa học phát triểnベトナム学・開発科学院(ベトナム語としても据わりのよくない名称だが、日本語にするとさらにけったいだな)の「オフィス」であることが判明した。急いでタクシーを飛ばしてそちらのオフィスへ(ハノイ大の人文社会科学大学の中にある)。無事、紹介状を受け取る。まだ時間があったので、中心部に戻って午後1時頃まで本屋をひやかすが、たいした物はなかった。

このときは気付かなかったのだが、調査地ははっきり言ってド田舎である。いくら起伏のないデルタとはいえ、殆どの場所で携帯電話が通じるようで、ちょっと驚いた。もちろん、発展途上国で固定電話が普及しないうちに携帯電話が広まるというのは、知識としては知っていたのだが、どこに中継局やアンテナがあるんだ?

で、約束の時間の15分ほど前からホテルのロビーで待機するが、待てど暮らせど車が来ない。いらいらしながら、表を見ると、それらしき車が一台。そういや、だいぶん前から止ってたな。で、聞いてみるとやっぱりそうだった。なんで、フロントまで呼びに来ねーんだよ…

車の方は、順調に2時間足らずでナムディン市に到着。10年前は半日かかったのが、夢のようです。ホテルでY団長、Sさん、Mさん、留学中のT君、カウンターパートのK君と合流。荷解きしたあと、気付け薬として免税店で買ったヴァランタイン17年物を差し入れし、調査の進捗状況などを聞く。調査地まで片道1時間半とのこと。ひさびさに肉体的にハードな調査になりそう。

今日からベトナム調査。曜日の関係などで、香港経由となる。高いくせに飛行機ちっさいし、乗り継ぎが慌ただしいのであまり好きではないのだが、予定が固まってチケットがとれたのが遅かったのでやむなし。予算を圧迫してごめんなさい、Y先生。

ノイバイ空港、数年前はあんなに綺麗だったのに…。香港―ハノイの機内で入国カードを配ってたので、「お、新しいのに変わったんだ」、と思いながら「ちょうだい」と言ったら「これはベトナム人用だから」とくれなかった。空港でカードを探すと、「これって、機内で見たヤツやん!」。どうも、ベトナム人用と外国人用の違いは、英語の説明の有無だけらしい。しかも、外国人用が足りなくて、ベトナム語を読めない人たちが記入カウンターで係員を捕まえて「ここは何書くねん!」「英語のカードよこせ」と大揉めしてた。お陰でこちらの入国審査は殆ど待たずに済んだけど。

ミニバスで市内に向かう(2US$もしくは3万ドン)。開発が進みすぎてもはや何がなんだか分からん。近年は三角屋根がブームのようで、新築住宅は殆どが明るい茶色の瓦で葺いた三角屋根。この10年ほどでも、築年を正面にでかでかと表示したり、出来損ないのラブホみたいな小塔を屋上に作ったりといった、幾つかの「流行建築」が去っていった。とりあえず、今までのよりは、まだ風雪の変化に耐えられそうな様式である。

バスはホータイ方面に行かず、ファン・ヴァン・ドン通りを直進するルートを採る。久しぶりだな、このルートは。さらにグエン・ヴァン・フエン通りへ。数年前は行き止まりの筈だったが、南側の道と繋がっていてビックリ。デウホテル近くの交差点には、日本でも見ることのある「今日の事故者××人、今月の死亡者○○人」とかがNOxの数値なんかと一緒に載ってる巨大な電光掲示板。どうも、JICA援助絡みらしく、隅っこに日の丸が。で、じっと見てると…

気温26度、湿度93%

ベトナムの夏はやっぱりこうでなくっちゃ(涙)。

バスターミナルからタクシーで23 Nguyen Cong TruのAsia Hotel Hanoiに投宿。予約がちゃんと通っていてホッとする(先発メンバーがオーバーブッキングで流浪させられてたのを聞いていたので、心配だった)。ベトナムのミニホテルでは珍しいフローリングの床(もしかして、最近流行ってる?)。ダニの心配も少ないし、冬もタイル張りよりは暖かそうで好印象。食い物の旨いロードゥック通りに近く、ハンノム院へもバス一本で行けるので、大局的には好立地だが、ホテルの周囲は工場だらけで夜はちょっと怖そう。あと、一階のサウナ&マッサージが健全な施設なのかどうか、若干不安。

レロイ書店より、第5巻出版との知らせ有り。これでついに問題の捏造率10%超の部分が完結する。そうと分かっていても買い出しに行かねばならないこの悲しい性…。

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