ある文系研究者の日常

2005/07  |  12345678910111213141516171819202122232425262728293031  |  2005/09

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

リンクにも入れてる渓中センセのページで知った世界一高価で無駄なUSBケーブル、大爆笑。税込み2万4800円という値段設定も(サンプルの完成度の高さはおいといて)普通の人の想像を遙かに超える高さのくせに、今ひとつ思い切りの良くない端数を残して無駄な足掻きを見せており、かえって微笑ましい。

それはともかく甲子園だ。もちろん俳句甲子園。開成高校の2連覇には感動した。BSでちらっと流れた優勝を決定づけた句とやらの何処が良いのかさっぱり分からなかったからだ。免税店でかったブランデーでぐでんぐでんになっていたからだということにしておこう。でも、翌朝も見た気がする。寝惚けていたのだろう。

野球の方は、まぁ、一回滅びた方がいいとすら思わないではない。さすがに

高校野球も語学教育と同じ「教育」であると言いながら、「語学留学は素晴らしいが、野球留学は悪である」という訳のわからない論理がまかり通るワンダーランド。それが、日本の高校野球だ。

との批判は勇み足だけど。留学は普通本場に行くのであって、出場可能性の高い辺地に行くワケではない。英語を習得するためにロシア留学しますとか言ったらどう善意に解釈しても「ほ~、旧KGBのスパイ養成英語教育システムはそんなに凄いのか。」がせいぜいだろう。

スポンサーサイト

帰国日なのだが、フライトが午後8時半なので午前は買物と観光に充てることにした。朝食をとって一休みすると雨模様。どうせスコールだろうからすぐやむだろう、と思ってチェックアウトを済ませてロビーで様子見。ところがこれが大失敗で2時間待ってもいっこうやむ様子がない。

結局予定が大幅に狂ってしまい、雨の中観光に向かうもラッフルズプラザ内の博物館だけで終了。マーライオンがどの程度がっかりなのかも確かめることができず、次の目的地紀伊国屋に向かう。本当はもう少しはずれにあるセレクトブックスという本屋の方に行きたかったのだが、遠方なので断念。紀伊国屋でもたいした物は見つけられず昼食をとってARIに向かう。昨日の席で、今日もアンコールに関するセミナーがあると聞いていたのでそれに参加する。

さて、NUSにはMRTとバスを使って行く(もちろんタクシーも使える)。MRTは路線図もあるし案内表示も親切。問題は最寄り駅からバスに乗ってNUSに行かねばならないことだ。NUSのサイトを見てもARIのサイトを見ても何番のバスに乗ればいいかは書いてあるが、何処で降りるべきかが書いていない。一応、大学との往復シャトルバスだが車内には地図も路線図もなく、アナウンスなんてもちろん無い。某豊中‐吹田大学待兼山キャンパスくらいの広さならどこで降りても大したこと無いが、巨大な丘陵にキャンパスが広がっている総合大学でスクールバスのバス停も10箇所以上ある。要するに、野生の勘を頼りにロシアンルーレット状態で降車タイミングを見極めねばならないのだ。幸いなことに初日は賭に勝ち、少し歩くだけで目的の建物(Arts and Science地区にある)に辿り着いた。

「学生に聞いたらええやん」とはごもっともだが、そもそもAsia Rsearch Instituteおよび同所が入っているShaw Founding Buildingなる建物が学内で有名な保証は何処にもない。人文系の研究所だしどうせ誰も知らないだろうと勝手に思い込んでいたこともあって初日見た風景を思い出しながら降りてみた。結果は無惨な失敗で全く逆の場所に着いてしまった。呆然としながらもセミナー開始時間まであと僅か。まずは建物内部を突っ切って中央突破を試みるも急峻な崖に阻まれて断念。大学のある丘を周回するメイン道路を延々と歩き、Arts and Science地区の端っこに何とか辿り着く。この時点であと10分もない。だがこのAS地区もくせ者で建物が入り組んでおり、斜面に立っているので階段をいくつも上り下りしないと行けない。蒸し暑い焦ってくると判断力も鈍るので最短ルートを冷静選ぶ余裕もなくなってきてひたすらに階段を上り下りしては疲れる結果に。結局15分ほど遅刻して会場に。話はわりと面白かったが、何というか、徒労感が…。

(あくまで期せずして)ハノイに匹敵する不愉快な関西の夏から快適で爽やかな常夏の地へとやってきた。くどいようだが、あくまで出張であって遊びに来たわけではない。お目当てのセミナーの会場であるARIに向かった。MRT内でお土産をホテルに忘れてきたことに気付くが、まさしくあとのまつり。

ちなみに懸案の英語は絶望的模様。MRTの車内放送でも、Doors closingをDon't leave、Commonwealth(駅名)をCommon Townと信じがたい程低レベルな聞き間違いを犯し、帰国直前まで気付かなかった。到着日の夕食は近くのフードコート、この日の昼食は大学内のカーティーンにしたがあんまり通じず、英語よりも使えないはずの中国語で注文を済ます有様。税金泥棒やん。

そんなこんなで会場に到着。肝心のセミナーだが意外と聞取れる。スピーカーが結構ゆっくりかつ聞きやすい喋り方をしてくれたのが大きかった。ただ、日本式(?)のレジュメに沿って順を追って話をしていくスタイルに慣れきった頭が西洋式のプレゼンスタイルに順応できず、話の流れや焦点がやや掴みきれないままになった。今回は予備知識のある話だったのでついて行けたが、未知の話だとかなり危なかったと思う。

セミナーの中身は期待通り興味深く、いろいろ聞きたかったのだが、報告者の一人が翌日アメリカに帰国するため準備に追われているそうで、規定の17:00の30分くらい前からそわそわし始め、質疑途中の16:45には強制的にお開きとなってしまい消化不良の感は否めなかった。まずは史料的なことを突っ込んで聞いてその後で内容に、という当初計画もあえなく瓦解。史料についての質問も上手くはぐらかされてしまった。まぁ、もう一人の報告者と司会とはビールを飲みながらその後である程度突っ込んだ議論はできたけど。

年度初めに諸般の事情から今年はどこにも行かない宣言をしたのだが、あっさり撤回して、シンガポールにバカンス出張することにした。

行くと決めたのが遅かったので既に直行便は満席、やむなくバンコク経由便による片道9時間の旅とあいなった。しかも午前9時半のフライトと言うことで、早起きを断念して徹夜で関空に向かった。ま、機内では例によって酒飲んで寝てたわけですが。

到着直前の機内アナウンス。「天候は小雨、気温は25度…。」

意図せずしてバカンス気分が味わえそうです。

来週からシンガポールに3日ほど出張することもあって耳慣らしのためにここ数ヶ月意識してBBCを聞いているのだが、全く進歩しない。もともとどの言語でも、(あくまで比較の問題として)しゃべる方は適当に何とか誤魔化す術を持っているのだが、聞く方はさっぱり。そういやベトナムでもずっとラジオを聞いてたけど、たいして成果が上がらなかったな。

所詮にわか勉強と言えばそれまでだが、ここまで進歩がないとさすがにめげる。前途多難だ。

ベトナムの歴史学界には4人の大先生が居る、いや、いた。それぞれの名を採ってLâm Lê Tấn Vượng(ラム・レー・タン・ヴオン)と称され、我々日本人も四天王などと呼んでいた。戦時下に四天王が中心となって書かれた『ベトナム封建制度史』全3巻は未だに基本文献の地位を失っていない。

去る8月8日、そのお一人であるTrần Quốc Vượng(チャン・クオック・ヴオン)先生が不帰の客となられた。1934年生まれとのことなので、享年71歳となる。12日にはベトナム国家大学総長を葬儀委員長とする盛大な葬儀がいとなまれたとのこと。ベトナム勧学会のニュースサイトは「我が国史学界の大樹が世を去る」と報じている。

先生の学風は狭義の歴史学(文献史学)に留まらず、考古学や民族学(人類学)の視点や成果も大胆に取り込んだ幅広いもので、考古学の泰斗と称されることもある。ハノイを河の港市と喝破したり、ブロンソンモデルを応用してチャンパの政体構造を論じた川筋国家論など数多くの業績が知られている。どちらかというと緻密な実証よりも発想力と隣接分野の成果を貪欲に取り込む柔軟性とで勝負するタイプであった。

一方でヴオン先生は歯に衣着せぬ発言と豪放磊落な性格でも知られ、アメリカに在外研究中に共産党批判めいた発言をして干されかけたこともあったが、その若干野党めいたところもまた魅力であった。また、学生の面倒見が良く、外国人との接触に厳しい規制と監視があった時代でも分け隔て無く外国人研究者と付き合っていたいう。

留学当初、帰国する頃にはこういった大先生達と学問的議論ができる様になりたいものだと思っていた。結局、こちらがぐうたらと時を空費するうちに、他の大先生との会話を横で拝聴するのがせいぜいのまま、機会は永遠に失われてしまった。少年易老学難成。一寸光陰不可軽。

ご冥福をお祈りします。

某行事無事(?)終了。でも、後始末やら、報告書作成やら、来年度の準備やら仕事は山積みだったりする。

そんなこと言ってると永遠に夏休みがこないので、現在スケジュール調整中。

さる行事の準備で登校したら、後輩(修士から他大学に移籍)が欧州某国に留学するということで研究室に挨拶に来た。留学の抱負を聞きながらお茶も出さずに準備作業を手伝ってもらう(相変わらず薄情なワタシ)。この日は偶然か、現在別の欧州某国に留学中の後輩にメッセージを書くことにもなった。

腹は括ってる様だったが、研究テーマの具体的な部分はなんだか口を濁すので若干心配ではある(余計なお世話ともいう)。ともあれ、良い留学になることを切に願う。次に会うときはより強力なコリーグになっていることでしょう。それはとてもとても嬉しいことです。

ベトナム陳朝史の同人誌を某所より入手。

ベトナム史の中ではメジャーな元寇の話。とはいえ、師匠との雑談でもなかなか出てこないマニアックな人名やエピソードが並ぶ。「元慈国母?あぁ、チャン・フン・ダオの嫁さんね。」などという台詞を吐ける日本人の数は両手両足で足りると思われる。うそです。片手で十分だな。作者氏は文句なくそのうちの一人に認定です。

文献目録や索引も充実しているが、そのレイアウトやつくりも芸が細かい。雑誌編集もしている後輩が感心していた。若干誤植はあったけど。

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。