ある文系研究者の日常

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の案内が届いた。日程は今年の12月4日から7日の4日間。サイトもできてます(左上のユニオンジャックをクリックすると英語版になる)。今月末が申し込みとアブストラクトの〆切とのこと。当然私も参加予定です。

今回のタイトルは“Việt Nam: Hội nhập và Phát triển”だそうです。って第2回も“Việt Nam, trên đường Phát triển và Hội nhập”だったよな…。なんか変わり映えしないぞ。しかしこのhội nhậpって単語、なんか訳しにくい印象。英語版だとintegrateになってるが、統合というより参入とか自動詞的な語感に思うんだけど。

前日に九州国立博物館に赴く。持ち込まれたベトナム史料を閲覧させて頂き、意見交換する。中部の勅封など初見のものもあり、貴重な機会だった。また、茶屋新六交趾渡海図の別バージョンを拝見して、これまた貴重な機会を得た。

翌日は博多鴻臚館跡を見学に行く予定だったが、追いかけてきた校正仕事のため、博多の喫茶店にこもる羽目に。時間的には余裕があったのだが、精神的に疲労困憊。あきらめて新幹線でビールをかっくらいながら帰ることにした。前回は大雨のために断念したが、今回またしても訪問を果たせなかった。次回こそは…。

劉玉珺『越南漢喃古籍的文獻學研究』(中華書局、2007)

北九州中国書店さんが来ていて偶然発見。著者ははじめて見た名前で、もともと音楽学が専門だったらしいが、この本は博論を纏めたものらしく、全然繋がってないところがよく分からない。一章を割いて敦煌文献との比較を試みる(第六章:越南、敦煌民間文本的比較研究)など常識外れな事もしているので、著者には失礼ながら中国側の研究や文献で知らないものがあれば儲けもの程度に思って余り期待していなかった。今でも精読はせずぱらぱら眺めている程度なんだけど、実際にベトナムで原本をかなり幅広くさわっており、いろいろとヒントになるようなことは書いている感じ。類書もないだけに悪くないなと思い直した。あんまり完璧な仕事をやられるとこっちも突っ込むところが無くなるしね。

そういえばこの本、大陸で出ているのに基本的に繁体字で書かれていて読みやすいです。『域外漢籍研究集刊』もそうだったと思うのですが、このシリーズだけの特徴でしょうか?

今回の渡越で史学院から新しい通史が出ているのを見つけた。いや、正確に言うと前時代の巻はもっと前から出てたかも知れないのだけれども。最近、いろいろな通史が出てるので、よく分からん。

荷物の都合もあって、第3巻(15・16世紀)と第4巻(17・18世紀)を購入。この時代分けは斬新。史学院から出てたもう一つ前のシリーズ物通史では、前近代は15世紀までで、その次の巻が1858年から始まるという別の意味で斬新なシリーズだったけど(まー、間の時代も計画だけはあったんだろうけど)。これ以外にも出版が中断して、未だに続刊が出ない「それ何て『中○史講座』?」と言いたくなる通史が確か2シリーズほどあったはず。

まだ第4巻の最初の部分しか読んでないので内容については何とも言えませんが、この2巻だけ比べても、えらい体裁がバラバラなんですが…。第3巻はかなり碑文や地方文書を使用しているようで、年代記頼みだった従来の通史から大きく進歩している可能性があり要注意の気配。第4巻は序文を見る限り、だいぶん時代認識が変わっていますね。あとは文献目録の分量がやたらと多い。とはいえ、「充実している」と表現することに拒否感にも似た躊躇を覚えるのはなぜだろう?チュオンサー諸島・ホアンサー諸島領有の正当性を主張する論著が山ほど並んでいて、余りのあからさまさ加減にうわなにをするやめくぁwせdrftgyふじこlp……

帰国

というわけで工作活動も終わって本日帰国。さる大先生の所に挨拶に行ったんだが、着いた直後くらいから猛烈に胃が痛い。締め付けるような感じの痛みが連続してろくろく受け答えもできない。幸いにして、師匠も同席してたので、「単にベトナム語が下手くそで会話に参加できない人」程度で済んだのがまだまし(良くはないけど)。ちょうど仲秋に当たって、どこに行っても月餅bánh Trung Thuが出る。正直言って好きではない。おれは甘いものも好きだけどプリントかババロアとかチョコレートパフェなどが大好きな人なのだ*。でも、季節ものなのだし、客の礼儀として一切れは食べないといけない。ふた切れ目を勧められたらどうしようかとずっとドキドキしてた。一緒に出てきたマンゴーとザボンは大変美味しゅうございましたが、体調が良ければもっと美味く感じただろうに…。

その後も症状は改善せず。下痢は酷くないので食あたりではないようだが、大変辛い。しかも飛行機は深夜便にもかかわらず、ホテルは既にチェックアウト済み。何とか泣きついてロビーの長いすに寝かせてもらっていたのだが、折り悪くオーナー夫妻が登場して、「こいつは何もんだ!」「客だ〜?どの客だ?」「こんなとこで寝かせてると外見良くないから起こせ!!」とか従業員に説教始めた。追い出されなかっただけ有難いのだが、何せ体調悪いので機嫌も悪い。このでっぷり太ったオーナー夫妻への殺意がどんどんと…。もちろん、一番可哀想なのはオレの代わりに怒られた従業員なんだけどね(帰りに謝ったら笑顔で応えてくれたのはポイントアップ)。

で、満員の深夜便、実質睡眠時間2時間ほどという強行日程で帰国。ところで大阪よ、何でハノイより蒸し暑いんだよ?こんなとこで真夏に世界陸上やるなんて根本的に間違ってるぞ。

蚊取線香

上の画像は師匠が日本から持ってきた蚊取り線香。クーラー嫌いなので、ベトナム的湿気(それでも体感は結構涼しい)に一晩放置した結果である。こんなとこより蒸し暑く感じるとは、何かが間違っていると思うぞ。

* ベトナムを研究していると、ベトナム料理やベトナム文化全般が大好きだと勘違いされることも多いが、私は基本的に好き嫌いの多い人間なので、ベトナム料理・文化にも嫌いなもの・好きになれないものはたくさんあります。例えばベトナムの流行歌はダサダサで全然好きになれない。ベトナムコーヒーは好きだし、路上の低い椅子でたらたら茶を飲むのも嫌いじゃない。でも基本はクーラーの効いたスタバみたいな明るい空間の窓際で外を眺めながら飲むコーヒーを希望します。でも、そういうとこは高いんだよなぁ…。

ベトナムの今年の大学入試問題と採点基準・模範解答が公開された(ベトナムは9月入学)。日本でいうセンター試験みたいなもんらしいが、大学入試制度には詳しくないので、歴史が必修なのかどうかも知りません。

これが歴史の試験問題採点基準・模範解答。4問全部が記述式で、時間は180分。↓は管理人によるチョー適当な訳。

問1
1919-1926年のベトナムにおける、プチブル知識人階級の愛国運動(について述べよ)。
問2
ベトナム・フランス暫定協定(1946年3月6日)、ジュネーブ協定(1954年7月21日)、そしてパリ協定(1973年1月27日)において、ベトナムの民族自決権はどのように記されたか?我が人民が、各協定の段階ごとに民族自決権を勝取っていった闘争の過程を概括せよ。
問3
1975年春の大勝利以降、国家の側面から見た国土の統一過程がどのように実現されたのか?国家の側面から国土の統一完成の意義(を述べよ)。
問4a
「ヤルタ二極秩序」の崩壊はどのようにして起こったか(記せ)?
問4b
「冷戦」以降の世界における大きな変化を記せ。

すげー(笑)。見事に近現代一色。19世紀以前には一言も触れてないよ…。しかし、ヤルタってベトナム語だとIantaになるのか。ロシア語から来てるのかな?

他教科について知りたい方はLao Động紙のサイトを見てください。Toánが数学、Vật lýが物理、Hóa họcが化学、Sinhが生物、Vănが国語、Địaが地理(地学ではない)、Tiếng Anh(英語)、Tiếng Pháp(仏語)、Tiếng Trung(中国語)、Tiếng Nga(ロシア語)。外国語や他の理系科目が選択式の中、3種類ある数学が全て記述式というのが目を引く所です。

現在、ハノイで社稷壇と南郊殿の発掘調査が行われていることを、山中先生のブログで知り得た。まだ連載第一回目で、社稷壇址のみのリポートだが現場写真もあるので、続報を期待しつつご覧あれ。どちらも工事に伴う発掘調査のようで、社稷壇の方は、キムリエンKim Liênとオー・チョ・ズアÔ Chợ Dừa交差点を結ぶバイパス建設によって、調査の運びとなったとか。ニャンザンのサイトで検索してみると、下記ふたつの記事が見つかった。最初の記事では「陳朝」となってたのが、一週間後の記事では「李朝」へと変更されている。

山中先生によれば、社稷壇の発掘というのは東アジアレベルで見ても、かなり画期的なものらしい。しかし残念ながら、遺跡の保存はかなり難しい情勢だ。もっとも、私のようなヒネクレ屋さんは、タンロン王城のときも今回も、後期黎朝や阮朝時代の遺構なんてロクに見ないで、目立つ李陳朝の層まで一気に掘りまくったんじゃね〜のか?とか、ついつい邪推してしまうのだけど。そういや、最近JICAがお金を出してハノイに都市型鉄道を造る計画が出たらしいが、なんと旧市街に地下駅を作る予定らしい。これはこれで遺跡がざくざく出てくる(そしてぶっ壊される)ことになるわけで、大変そうだ。ま、鉄道計画は浮かんでは消えの繰り返しなので、実際着工するまで分かりませんが。

南郊殿の方は検索しても出てこなかった。こういうのはHà Nội Mới紙の方が強いと思うのだが、こういうときに限って繋がらない。続報を鶴首して俟ちたい。代わりに南郊「壇」で検索してみると、タインホアの西都で、胡朝期の南郊壇の発掘調査が、2004年に行われていたことを知り得た(真面目にベトナムの学術雑誌をチェックしていないのがバレバレ)。昭和女子大の菊池先生のグループによる西都城発掘(世界初である)と時期的にかぶっているので、連携があったかも知れない。

以前のエントリーで紹介したJournal of Vietnamese Studiesがやっと届いた。いったん発刊が延期になったあげく、創刊号からVolume 1, Number1-2と合併号である(分厚いけど)。3号雑誌にならないことを祈ってます。

内容は20世紀以降が殆どで、前近代史はLiam C. Kelleyの長文エッセイが1本のみと、やや寂しいところ。

本日から調査に合流。今回は「文献・碑文資料による近世紅河下部デルタ開拓史研究」というプロジェクトに混ぜて頂いている。今年の調査地であるナムディン省ギアフン県はダイ川と紅河支流のニンコー川に挟まれた南北に長細い県。ダイ川の向こう側はニンビン省のキムソン県で、ここは昨年度に調査を行った(管理人は参加できず)。ニンコー川の対岸は同じナムディン省のハイハウ県。どちらも開拓史については研究の蓄積があるが、間に挟まったこの県については、纏まった研究がないので(ハノイ大の卒論が一本ある)、ターゲットになったわけだ。

で、両岸の県では15世紀に作られたとされる堤防(洪徳堤)があるのだが、ギアフン県内で何処を通っていたのかが確定されていない。古い時代については、これが確かめられれば、万々歳ということになる。事前情報では、もう少し南に後期黎朝時代(16―18世紀)の堤防が築かれた場所もあるとのこと。私個人としてはここが一番楽しみ。もちろん、もっと沿海の方は開拓の歴史が遅れることになる。当初予定では、北の方から順番に沿岸砂丘列上に位置する村落を訪問することになっていたが、現地側の都合で、一番海岸よりの村落から北上する形態へと変わった。「調査地がどんどん遠くなっていくと疲れるでしょ?」という、配慮(?)らしい。

やってきた車。ひさびさに来たよ、おんぼろワゴン。往年のチェコ製バスほどではないが、なかなかの年代物。当然クーラーなんて壊れてて使えません。運転手は若くて気のいいあんちゃん。そこそこ安全運転してくれるが、やはり片道1時間半は疲れる…。

本日の調査地はNT社。家譜があるということで出向くが、最近編纂されたクオックグーのものだった。別の氏の祠堂にも行くが、ここは史料無し。帰路、古い堤防の跡があるという所に寄るが、車が入れないので、SさんとT君だけがバイクに乗って確かめに行く。

帰路、予定外の寺院(Đền, chùa, phủのコンプレックス)に立ち寄ることになった。第5代目の雄王を祀っているとのこと。百卵伝説に出てくる雄王の子供100人の名前全部が載っている面白い史料と出会った。

ホテルの朝食なんて期待してなかったが、予想以上に不味かった。つか、朝食からロールケーキなんか喰えるか!ロードゥック通りまで出て食えばよかった。激しく後悔。中国人の団体さん多数。家族連れだったので、観光だろう。

午後2時に迎えの車がホテルに来る手筈になっていたので、午前中はゆっくりできると思っていたが、急遽予定が変わった。調査終了後、ハノイで文書館調査をするが、そのためには紹介状が必要である。これがないとベトナムでは基本的に何にもできない。大事な書類なのだ。昨夜電話があって、手続きの関係で先発隊の出発に間に合わず、私以外の人の分も含めて、私が受け取りに行くことになった。電話では「オフィス」としか聞いていなかった(はず)。私が「オフィス」と聞いて思い浮かぶのは、自分も立ち上げ準備に関わった、東大とハノイ大の共同オフィスである(これ自体は既に予算措置が切れたので、正式には東大の施設でなくなったはず)。で、行ってみたら誰もいない。途方に暮れたところで、スタッフのPA先生(オフィスのスタッフだが、もともとはベトナム語の先生で、私の先生でもある)が登場。

  • 管理人「紹介状を取りに来た」
  • PA先生「何の紹介状?」
  • 管理人「へっ?ここに取りに来いと言われたんだけど…」
  • PA先生「何も聞いてないよ。」
  • 管理人「げげっ…。」

で、調査に同行しているスタッフに電話してもらったところ、幸いにして繋がった。結論としては、私の勘違いもしくは聞き落としだった。「オフィス」とは、今回の調査のカウンターパートであるところの、Viện Việt Nam học và khoa học phát triểnベトナム学・開発科学院(ベトナム語としても据わりのよくない名称だが、日本語にするとさらにけったいだな)の「オフィス」であることが判明した。急いでタクシーを飛ばしてそちらのオフィスへ(ハノイ大の人文社会科学大学の中にある)。無事、紹介状を受け取る。まだ時間があったので、中心部に戻って午後1時頃まで本屋をひやかすが、たいした物はなかった。

このときは気付かなかったのだが、調査地ははっきり言ってド田舎である。いくら起伏のないデルタとはいえ、殆どの場所で携帯電話が通じるようで、ちょっと驚いた。もちろん、発展途上国で固定電話が普及しないうちに携帯電話が広まるというのは、知識としては知っていたのだが、どこに中継局やアンテナがあるんだ?

で、約束の時間の15分ほど前からホテルのロビーで待機するが、待てど暮らせど車が来ない。いらいらしながら、表を見ると、それらしき車が一台。そういや、だいぶん前から止ってたな。で、聞いてみるとやっぱりそうだった。なんで、フロントまで呼びに来ねーんだよ…

車の方は、順調に2時間足らずでナムディン市に到着。10年前は半日かかったのが、夢のようです。ホテルでY団長、Sさん、Mさん、留学中のT君、カウンターパートのK君と合流。荷解きしたあと、気付け薬として免税店で買ったヴァランタイン17年物を差し入れし、調査の進捗状況などを聞く。調査地まで片道1時間半とのこと。ひさびさに肉体的にハードな調査になりそう。